6.信仰とは
 人間の住んでいる地球は、万物万象の共生の楽園であります。すべての生物は、平等な権利と義務を背負って共生という世界の中で助け合って生きているので、人間も、動植物も、鳥類、虫類、魚貝類、微生物も、すべての生物は人間の兄弟姉妹であります。人間の肉体を構成している細胞も、形や機能が異なっていても独立して存在することのできない平等の生命であります。
 また、宗教にしても、佛教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、道教、神道も、すべてが大宇宙の大調和の生命の中で、どのように調和した生き方をするのが最も正しい生き方なのかを教えた教えであります。
 大宇宙の大真理は、時代の変化にも、教祖の人徳にも左右されないものであります。井戸の中しか知らない井戸の中の人類は、いろいろな如是我聞の宗教を誤解して宗教間の闘争を繰り返す低次元の人も少なくないが、そのような無知無明な生き方をこれ以上繰り返さないためにも太陽のような宗教、固有名詞のない空気のような宗教を確立しなければ人類の上には平和も幸福も訪れないのであります。
 人類社会には人間の作った如是我聞の経典や聖書に惑わされ、大宇宙の大真理に逆行する不幸な宗教も少なくないが、それは宗教が悪いのではなく宗教の良否の選別もできない自分自身の無明の心、無知の心が不幸を呼び寄せているのであります。
 この世の中は、因果応報の世界であります。どのような病気も、不幸も、貧困も、その原因はすべて自分の心にあります。すべての原因が自分の心にあることがわかれば、あるがままの状態をそのままありがたく受け取り、自分の責任で自分の作った自分の因縁を果し切る努力が必要であります。この努力の中にこそ真実の幸福の種が入っているのであります。昔から「楽は苦の種、苦は楽の種」と言われているが、これは真実の言葉であります。
 私の長い人生経験の中でも、降り注ぐ運命を「もとはこちらそのままけっこう」と喜んで受け取り、喜んで苦労を乗り越えてゆく努力をする人には、想像もしなかった見事な幸福の種が入っていることに気付くのであります。しかも、その苦労が大きければ大きいほど一粒万倍の摂理がここにもはたらき、幸福にあふれた立派な指導者が各地に誕生するのであります。
 昔の人は「苦労は買ってでもせよ」と言った。苦労の中だけに含まれている見事な幸福の種は、人間以外の大自然の生物たちはすべて日々味わっている平凡な道であるが、残念ながら多くの人は「楽をしたい、楽をして幸福になりたい」と考えるので永遠に幸福の種を手にすることができないのであります。


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